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京都地方裁判所 昭和28年(タ)8号 判決

原告 (英国人)ヘレン・イヴ・ヒール

被告 (英国人)ジエームス・ヒール (いずれも仮名)

主文

原告と被告とを離婚する。

原、被告間の子アーサ・エリク及びルース・セルマに対する親権者を原告と定める。

被告は原告に対し其の子アーサ・エリクを引渡せ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、其の請求の原因として、

一、原告はカナダの名門に生れ、トロントに於て最も声誉の高い女子学院ブランサム・ホールを卒業した後、英国外務省に入り太平洋戦争終了後来日し在東京英国大使館勤務の秘書をしていたが、一九四八年(昭和二十三年)三月六日、当時ロンドン・タイムス特派員としてマツカーサー総司令部に配属していた被告と横浜英国総領事館で正式に婚姻した。そして原、被告夫婦の間には一九四九年(昭和二十四年)五月二十一日長男アーサ・エリク、その翌々年の八月二十一日には長女ルース・セルマの両児を儲けた。尚アーサ出生の時原、被告相談の上看護婦として被告補助参加人知念操を雇入れた。

二、被告が非常な愛酒家であることは結婚前よりひろく内外人の間に知られていたが、結婚後一、二年の間はその為別段夫婦生活の異和を来す様なことはなかつた。処が一九五〇年(昭和二十五年)夏朝鮮戦争勃発の頃より被告は急に酒量が増え悪質な酒癖に伴う強度の神経衰弱に罹り、原告には全然理由不可解な多額の借財を負担し、其の都度原告固有の預金で弁済又は保証引受等、その解決を図らねばならない状態になつた。そして翌年八月原告が前記長女ルース・セルマの出産に引続いて被告の悪酒乱業による神経過労を医する為暫く東京聖母病院に入院して帰宅した処、被告の行状は別人のように一変し家庭の有様はさながら悪夢を見るような混乱に陥つていた。すなわち被告は知念以外の雇人と喧嘩口論して悉くやめさせ、仕事は全く放擲し、連日朝から酒を呑んで外出し翌朝二時頃に乱酔して帰宅した挙句、理由もなく原告を悪罵殴打して一睡もさせず、自分自身は殆ど食事もせず毎夜激烈な嘔吐発作を繰返すようになつた。此の状態は漸次悪化し十月初旬頃に至り飲酒の量は加速度を以て増加し全然本性を失うことも屡々であつたが、遂に多量の吐血をするに至つたので東京築地の米国陸軍病院に入院加療させた処、主治医メイソン博士は被告を慢性酒精中毒と診断し、約二週間して退院した際も若し再び飲酒すれば重大な危機に直面することとなろうと警告した。尚右入院加療中ロンドン・タイムスより被告を罷免する旨の通知があつた。退院するや被告の飲酒癖は直ちに再発し、間断なき飲酒の結果一杯のコーヒーすら嘔吐を誘うという有様で被告は十二日間何等の食物をも口にしなかつたが、十一月十九日ロンドンに向け精神朦朧の状態で空路出発した。

三、翌千九百五十二年(昭和二十七年)二月十九日被告はロンドン・デイリー・テレグラフの在日特派員になつたというて帰つて来たが、医師の厳重な警告にも拘らず飲酒の癖は止まず普通の日で一日、日本酒二升は呑み挙句の果て乱酔して屡々原告を殴打し同月末には一度原告の首をしめにかかつたので原告は軍医療部に電話をかけ急救車を呼んで避難するのやむなきに至つたことすらある。こんなことが続いているうちに被告は病勢更に悪化して全然気力を喪つてしまつたので原告は被告を東京米国陸軍第三六一号病院へ入院させた。

原告は夫の回復を祈る心は失わなかつたが、二人の愛児の健康、養育の為には止むを得ずと決心し、昨年三月七日二児と共にカナダに帰国した。此の際被告補助参加人知念はこの儘同棲を続ければ被告は原告を殺すか一室に監禁して情婦を家に迎えるだろうというて原告のカナダ行をすすめたのである。然し被告はカナダにある原告に対し禁酒したから仲直りせよといつて来たので同年六月原告は愛するものの慾目から被告の言葉を盲信して再び来日した。ところが飲酒の癖は少しも変らず原告帰日後二、三日して被告は右知念を伴つて九州に四、五泊の旅行をした。其の理由は業務用の旅行であつて知念は毎日注射させる為に同伴するということであつた。帰京後は知念は連日のように休暇をとり被告は毎夜のように外泊するという奇妙な事態が生じたが、六月中旬ある夜原告は被告が自宅の一室で知念と情交中の現場を発見したのである。前後の事情から察すると知念と被告とは恐らく原告のカナダへ帰る前から既に関係を生じていたもので原告のカナダ帰国中は夫婦同様の生活をしていたことが明らかとなつた。

此処に至り原告等の結婚生活は重大な危機に直面せざるを得ないことになり原告は被告に対して知念との絶縁を強く主張し、この問題を解決するまで二児を伴れて軽井沢に身を避け友人の家に寄宿したのである。軽井沢滞在中昨年八月に原告は肺炎にかかり肝臓を患い病臥していたが、被告は見舞に来て知念は解雇するから新生活をしようというので又その甘言に乗り九月一日軽井沢から帰京した。然るに帰京の当夜被告は又乱酔して原告の一挙手、一投足に難癖をつけ終夜一睡もさせず翌二日朝未だ暗いうちにアーサ・エリクを伴れて何処かへ立去り数時間後単独で帰宅し、子供は知念と北海道へやつたと放言した。原告は子供の身の上を案じて狂気のようになり連日連夜安眠せず英国大使館、領事館、米軍警察等百方手をかりて捜索した結果幸い愛児は日光金谷ホテルに知念と共に滞在していることが偶然判明したが、其の後も夫の行動に気を配つていたところ、被告は自家用自動車を捨てタキシーに乗つて知念の跡を追い日光に行つてしまつた。

原告は事茲に至つては望を失い泣く泣く幼児ルース・セルマを抱いて家を出て都内飯田橋アンバサダー・ホテルに一室を借りて止宿し如何にかして子供アーサを取り返したいと日夜苦心した。

カナダにある原告の母ハールキンズ夫人は棄て置き難い情勢に驚き問題の解決の為十月初空路来日し、早速被告に会い、問題解決への第一着手として「孫に会わせよ」と要求したところ、被告は「必ず伴れてくる」と言いながら其の後東京から行方を暗ませてしまつた。原告は又々百方手を尽して漸く夫が極秘裡に知念及びアーサ・エリクを伴れて肩書住所に居を構え知念と同棲生活をしていることを発見した。

以上の被告の行為は英国法により妻が夫に対し裁判上離婚請求が出来る原因であるアダルタリ並にフイジカル・クルエルテイ及びメンタル・クエルテイーに該当し、我国民法に於ては夫の不貞な行為及婚姻を継続し難い重大な事由に該当するものであるから、本訴に於て離婚判決を請求する。

英国法に於ては離婚確定の前後を問わず本件の如き事実あるときはアリモニーを請求し、且、子の福祉に着眼して夫妻の何れかを子の監護者とし、之に子の引渡を命ずることが認められて居るのみならず本件引渡の目的であるアーサ・エリクの如き幼齢の子は夫妻いずれもその監護者たる適格に差異ない時は子の福祉の為母を監護者とすべきであるという法則が行われているので、右英国法に基いて、但しアリモニー及び先執行の点は控え其の余の請求をする。

若し日本の法律が適用せられるとすれば、被告が昭和二十六年六月頃よりその補助参加人知念と継続して肉体的関係を結んでいることが民法第七百七十条第一項第一号に該当し、その他被告が原告に対し肉体的精神的虐待を加えている所為が第五号に該当する。又、手続の問題として離婚請求訴訟に先立ち家事審判法により調停手続を経べき規定が存するが、調停による離婚は本質上協議による離婚であつて英国法では協議離婚の効力は認められず、且、本件は急速を要し、事案の性質上容易に調停が成立する見込みがないから調停に附することなく直ちに裁判ありたき旨陳べ、尚、原告は現在日本に住所を有するから被告の訴訟費用担保提供の申立はその根拠を欠き、之が却下ありたく、その他被告の抗弁事実は否認すると述べた。

被告訴訟代理人は先づ本件を京都家庭裁判所へ移送するとの裁判を申立て、其の理由として英国法は離婚請求事件の準拠法に付、当事者住居地法主義を採用し我国では法例第二十九条で反致主義を採用しているから、本件は結局我国法律により処理せらるべき事案であり、且、我国の法律は人事に関しては調停前置主義を採用して居る。調停調書は家事審判法第二十一条により確定判決と同一の効力を有するのであるから原告が英国法では調停による離婚の効力は認められないと陳述しているのは、我国の場合に付ては当らないと述べ、尚、本件訴訟に付原告はカナダに生活の本拠があり日本に住所を有しないから訴訟費用担保提供の申立をすると陳述し、本案に付ては請求棄却の判決を求め答弁として左の如く述べた。

一、原告主張第一項記載の事実は之を認める。

二、第二項に付ては、原告は被告が愛酒家であることを充分承知の上で(此の点原告の主張を利益に援用する)、結婚したこと、原告が東京聖母病院に十二日間入院したこと、被告が東京築地米国陸軍病院に入院したことがあること、被告がロンドン・タイムスの特派員を辞めたこと及び原告主張の日時頃ロンドンに赴いたことは認めるが、其の他の主張事実は全部之を否認する。原告が東京聖母病院に入院していたのは、ルース出産の為であつて、被告の酒癖乱業による精神過労を癒する為というのは事実無根である。又、被告が築地米国陸軍病院に入院したのは持病の痛風が原因であつた。

三、第三項に付ては被告がロンドン・デーリー・テレグラフの特派員となつたこと、被告が東京米国陸軍第三六一号病院に入院したこと、原告がカナダに帰国し三ケ月後帰日したこと、被告が九州旅行の際被告補助参加人知念操を同行させたこと、原告が軽井沢に赴いたり、長女ルースと共にアンバサダー・ホテルに移つたことがあること及び被告が現在長男アーサを監護して居り、右知念を同居させていることは之を認めるが、其の他の原告主張事実は全部否認する。殊に原告はアーサの行方不明により「連日連夜安眠せず」と主張しているが、事実は即日知念の日光からの電報でアーサの所在を知つていたのである。

尚、同代理人は左の如き反対陳述をした。

一、原告は夫たる被告の本務使命を理解しない。原告が熟知するように被告は日本学者であり、日本通である。被告は全生涯をかけて日本文化、殊に古代文化並に方言を含めて日本語の研究に打込んでいるものである。従つて男女を問わず多数日本人の学者、研究家と交際するし、あらゆる階層の言語に興味を持ち、女中、ボーイ、運転手の言葉の中にも俗語、隠語、新語を発見しようと努めている。又、被告は日本語、日本文化の源流としての琉球語、琉球文化につき研究をし、屡々彼地に旅行して居る。補助参加人を採用するときも、チネンという姓で直ちに彼女が琉球人であることを知つて採用し、彼女より日常機会ある毎に琉球の言語、風俗、習慣等に付知識を集め研究の資料として来たのであるが、原告並に女中等は之を凡て誤解し、疑心暗鬼であつたところ、偶々被告が書斎で飲酒していた際、補助参加人がいたことに因縁をつけて鬱憤を爆発させたのである。又、被告はロンドン・タイムス又はデリーテレグラフの記者として各階層の日本人男女は素より諸外人とも交際して情報の蒐集に当つた。殊に朝鮮戦争により記者生活は苛烈なものとなり、又、間もなくロンドン・タイムスの同僚が戦死し被告は一時に任務を倍加されたので日夜を別たず活動しなければならなくなつた。其の為帰宅が夜半となり、疲れを癒す為の飲酒が時には度を過すこともあり、遂に打重なる疲労の為神経的になつたのは避け難い状況であつた。然し原告は少しも此の間の事情を理解しなかつたのである。

二、原告は嫉妬心強く且神経過敏で被告の職務研究を妨げた。原告は日本語を解せず、又、日本語習得の熱意もなく、被告の前妻が奈良岡まつ子という日本婦人であつたので、日本婦人に対しては極度に警戒し、被告が職務並に研究上交遊する日本婦人等に対しては嫉妬心、猜疑心を以て眺め、彼女等との交遊を嫌い、苟もまつ子と名のつく女性は女中と雖も、その採用を拒否した。又、原告は日本語を解しない上、日本婦人のする特有の笑顔、姿態、所作を日本流に理解し得ない為之を英米流に解釈し、事毎に被告と日本婦人との関係を不純なものと誤解して神経過敏になり、妬心を炎やして被告の職務の遂行や研究を妨害した。

三、原告は夫たる被告と協力、結婚生活を完成する意思がない。原告は被告がサラリーマンであつたに拘らず之を無視し、女中三名、ボーイ一名、コツク一名、運転手一名を使用するなど王侯貴族の如き生活を欲し、妻の主務である家庭と育児を女中に委せ切りにし、多額の生活費を浪費し、借金を生じ、出入の商人の支払にも差支える事態を生ぜしめた程である。又、被告がロンドンに向けて出発するや、直ちに秘かにカナダ行きを企図して訴外グレゴリ夫妻と相談し、遂に被告が米国陸軍第三六一号病院に入院中を利用して之を実現し、剰えその際病院から被告の有り金や衣類、靴まで持出して居る。カナダへ帰つてからも、補助参加人からの通報で被告の禁酒を知るや被告から「九州旅行が終る迄帰日を延期せよ」と申送つたに拘らず之を無視して帰日する等原告には夫婦一如の愛情がない。のみならずカナダへ出発する前、被告宅から茶箱其の他に多数の衣類を入れて搬出し、之をグレゴリに託したり、アンバサダー・ホテルに移つたときもトラツクと乗用車で家具調度品、衣類、寝具等主要な家財道具一切を搬出し常に離婚の態勢をとつていた。

四、原告は子に対しても愛情薄く之を養育する能力と意思とを欠いている。子のことは平素女中に委せ切りで昭和二十七年六月夫婦喧嘩するや軽井沢へ行く前に二児を家に遑して無断行方も告げず聖母病院に入院したことがあり、アンバサダー・ホテルに移るときも不在中のアーサの衣類、寝具、玩具の一切を持去り、又、其の後当時二才のルースを老母に託して遠くカナダに送つたり、アーサ引渡の仮処分の執行として山科の被告宅に来たときもアーサの引取りが執行不能となつたにも拘らず、その寝衣や玩具を持去つたこと等は、その一端のあらわれに外ならない。

五、仮りに被告と補助参加人との間に原告主張の如き関係ありとするも原告は軽井沢滞在中被告に之を宥恕し、又、東京へ帰つた晩被告宅で同人に対し「原告が知念と同居することさえなければ被告が同女との関係を続けても差支ない」と承諾した。此の後の点に付甲第二十一号証の一記載の原告の陳述を援用する。

六、原告は元来被告が太平洋戦争の為本国に送還されて滞在中同人と其の前妻である訴外奈良岡まつ子との婚姻が未だ解消しない間に其の事実を知りながら被告と同棲をはじめたものであるから、立場を易えて類似の関係にある補助参加人と被告との関係を非難する資格はないのである。

尚同代理人は原、被告の長男アーサに対する親権者の指定に付て特に左の如く附加主張した。

アーサは原告の膝下にあつてボーイ、女中等数名と共に宏壮な邸宅に居住し、数多くの立派な玩具や絵本、物語本を買い与えられ、アメリカン・スクール附属幼稚園への通学には常にボーイに附添われる等何の不自由もなく幸福に、且、一般の標準以上に健康に生育している。之に反し原告は前叙の如く元来子に対する愛情が極めて薄い上に、比較的狭隘な家屋に居住し、昼は米国商社に勤め、夜は朝日新聞に働いて辛うじて母子二人の生計を維持しているものであり、ルースの養育は殆どロシア人の女中に委せ切りとなつている。又補助参加人は非常に優秀な看護婦であつて、アーサ出生以来の保姆であり、終始一貫誠心誠意愛情を以てアーサを哺育し来り、アーサも之を感得して知念を愛慕している。之に反し原告は自らはアーサを構わず、知念に委せ切りであつたので、アーサとの接触度は遥に同女に劣つている。しかのみならず現在日本語しか解さないアーサが急にその環境を激変されて殆ど日本語を解さない原告や妹等と同居させられることになれば、その心神に受ける衝撃は異常なものであり、その影響は将来同人の性格に深い暗影を投ずるであろう。アーサが現在日本語しか解さないことは、古くより海外に植民し世界を支配した英国民としては決して悲しむべきことではないのである。

被告は世界で有数な日本学者であり、研究に忙殺される身でありながら殆ど全身全霊を以てアーサを鍾愛している。齢既に五十に近く血を分けた近親者としては在英の母と在日のアーサとルースの三人のみの被告にとつては、ルースが原告の許にある現在自己の布望を託し得るものはアーサ一人である。少くともアーサのみは被告を親権者に指定することが情理に適つた措置である。

〈立証省略〉

理由

当裁判所は後記認定の事実に基き、本件事案の性質及び訴訟の経過に照し、本件を家庭裁判所の調停に付さないで、直ちに裁判するのが相当と認め、且、原告は日本に住所を有することが明らかであるから、被告の訴訟費用の担保提供に関する申立を却下することとし本案に付て次の通り判断する。

原告と被告とが昭和二十三年三月六日横浜の英国領事館で正式に結婚し、その間に昭和二十四年五月二十一日長男アーサ・エリク及び同二十六年八月二十一日長女ルース・セルマの両児を儲けたことは真正に成立したものと認められる甲第一号証及び同第二号証の一、二によつて明らかである。そして、証人前田トヨ、竹内リカ、下斗米吉之助、下川馨、坂本あや、市川孝の各証言、原告本人尋問の結果(第一回)並に当裁判所に於て真正に成立したものと認める甲第三、第四、第六、第十二乃至第十四、第十六乃至第十九、第二十一号証の一、七、二十九、三十、第二十二及び第二十六号証、検証の結果(第一乃至三回)並に弁論の全趣旨を綜合すれば、被告は昭和二十五年朝鮮戦争勃発の頃より過度の疲労と飲酒との為、屡々、常軌を逸した粗暴な行為に出るようになつたが、原告は昭和二十六年六月中旬東京渋谷の自宅の一室で予て同人等夫婦がアーサ出生以来看護婦として雇入れて居た被告補助参加人知念操と被告との情交の現場を目撃し、その精神的打撃から被告宅を出で軽井沢へ赴いたところ、被告も軈て同所に来り、原告に対し知念を解雇して新生活に入る旨誓約したので原告はその言を信じて九月一日自宅へ帰来したが、其の夜被告は原告に対し綿々として既に同家から立退いていた知念に対する未練の情をのべ、同人との関係の清算を主張する原告を罵詈嘲笑した挙句早朝原告に無断で長男アーサを連出し知念の許に預けた上、同人等を日光へ赴かせ自らもその翌日行先を明らかにせず其の跡を追い、原告がアンバサダー・ホテルへセルマと共に移つた後単身帰家したことがあるのみで暫く知念等と共に諸所を転々した後肩書住所に居を構え引続きアーサを連れて知念と同棲中であることが明らかであり、右認定に反する証人知念操及び被告本人の供述に之を信用しない。

鑑定人田中和夫の鑑定の結果によるも、日本に永久的住所(パーマネント・ドミサイル)を有する英国人たる夫を当事者とする離婚訴訟は我国の法律によつて裁判することが出来、被告が我国に永住の意思を有することは被告本人尋問(第一回)の結果によつて明らかであるから、右事案を我国民法に照して考察すれば、右被告の所為は民法第七百七十条第一項第一号所定の行為に該当し、其の他尚本件に於て被告が原告に対し堪えがたい精神的虐待を加えたことに基き同項第五号の事由が存在するものと謂うべきである。

尤も被告が補助参加人知念操と不倫な関係を結ぶようになつたのは、被告が朝鮮戦争勃発の頃より過度の疲労と飲酒とから時折異常な興奮状態に陥り昭和二十七年二月末には酒乱の挙句原告の首を絞めにかかる程の状態になつたので、原告は周囲の者の勧告により已むなく被告を精神病院へ入院させたが、その留守中原告は二児を伴れて無断カナダへ帰つたので、退院して始めて此のことを知つた被告がその憤懣と寂寥との念から熟練した看護婦として常時被告を介抱した補助参加人知念との間に遂に矩を踰える関係に陥つたものと認められ、其の間の事情に付被告に対し全然斟酌すべき点なしとはしないが、然し又、原告が此の様な挙に出たのは、被告は東京の米国陸軍病院やロンドンの保養所(ナーサリーホーム)にあつて種々の治療を受け、其の都度医師から厳重な注意を受けたに拘らず、退院後間もなく再び暴飲を始め、其の間ロンドン・タイムスよりは罷免せられ、ロンドン・デイリー・テレグラフの特約通信員となつた後も殆ど仕事を放擲して省みない状況で症状は益々悪化し、遂には前記の如く原告の首を絞めにかゝる極端な状態に陥つたので、原、被告の友人たる英国大使館勤務の訴外グレゴリや其の頃は原告も忠実な看護婦として信頼していた補助参加人知念の強い勧誘を受け、異郷にあつて頼るべき相談相手としては右両名の外殆どなく、殊に被告の前記所行や、その前妻からの執拗ないやがらせ的行動(此の点に付いては前掲証拠の外尚甲第十、第十一号証、第二十号証の二、第二十一号証の二十九、三十四及び三十五参照)から自らの心神も極度に疲労困憊していて原告(此の点に付いては尚甲第八号証参照)は、この儘日本に居住を続ければ家族一同の生活が根柢から破壊される虞れがあり、被告も嘗て移住を希望したことがある(此の点に付甲第二十一号証の二十九、三十、第二十四、第二十五号証及び第二十号証の二参照)カナダ又は米国へ居を移すことが被告の健康並に研究の為にも遙に好都合であると考えて、躊躇逡巡の後、遂に右両名の勧告を容れてカナダへ帰ることを決意したことが明らかであり、又、原告はカナダへ帰つてからも日本学者としての被告に適当な職を求めて百方奔走を続けながら(此の点に付甲第二十一号証の三十八の(イ)(ロ)(ハ)参照)、電話、手紙等で補助参加人を介し、又は直接被告と連絡を続けたか、被告が退院後酒を慎み健康も次第に恢復に向つている旨の知らせを得て、離日前の懸念が解消したとなし早急夫の許へ帰つて来たことが明らかである。右経緯に徴すれば原告のその間の行動に客観的に些か軽率の点があつたことは否めないけれども、当時の逼迫した原告の心情は被告の到底諒恕し得ない性質のものではなかつたのであり(此の点に付尚甲第二十号証の二参照)孰れにせよ被告が原告のカナダ行きを以て原告帰日後に於ける補助参加人との関係を弁疏する理由と為し得ないことは深く説明の必要を認めない。(又、被告は原告に対し帰日を九州旅行の終る迄延期せよと申出たのに拘らず原告は之を無視したと批難するが、右被告の申出は留守中に帰つたら原告が困るだろうということを主たる理由とし、原告としてはその時の航空便を利用しなければ帰日が相当遅れる事情にあつたことが覗われる。)

被告は又補助参加人を同居させることは長男アーサの養育上必要であると主張するが、夫婦生活を破綻させて迄同女が格別健康に異状のないアーサの養育上必要であつたと認められる証拠はない。之に関連して被告は原告が其の子に対する愛情を欠くと主張するが、その旨の証人知念操及び被告本人の供述は之を信用することができない。甲第二十六号証によれば原告が仮処分執行の際長男アーサの寝衣とスリツパを持去つたのは執行が完了すると思つたからであり、又、ルースを来日した原告の母に託してカナダへ送つたのは当時原告が頻る多忙であつたのと、ルースに対する身辺の危険を感じたが為であることが認められ、更に原告が被告と補助参加人との関係を知つて其の精神的衝撃から軽井沢へ赴く前に二児を家に遺したまま聖母病院に行き、数日家に帰らなかつたことを以て原告の子に対する愛情を云為するのは極論である。

証人三上富子の第一回証言によれば、被告が三上家から現在家居を借受ける際同人に対し補助参加人をアーサの看護婦として紹介し、妻は近い内に東京から来るといつたことが明らかであるが、補助参加人が同居する限り、原告が之を拒否することは当然であり、補助参加人を同居させつつ而も原告に山科へ来るよう申向けること自体既に原告に対する重大な侮辱と謂うべきである。

被告は其の他原告の妻としての態度に欠けるところがあると種々主張するが、前掲証拠及び真正に成立したものと認められる甲第二十一号証の二乃至六、八乃至二十八、三十三、四十四乃至五十二によれば原告の身分不相応に被告の意に反して放慢な生活をした旨の証人知念操及び被告本人の供述は信用出来ず、原告がアンバサダー・ホテルへ移つたとき被告所有の主要な家具を持去つたとの同人等の供述は証人下川馨、下斗米吉之助の各証言に照しても信用し難い。又、被告はその第一回本人尋問で「陸軍の精神病院へ入院させられたとき原告が被告の上衣にあつた現金や身分証明書やオーバー、靴等を持帰つた」旨供述し、又、前掲甲第二十号証の二にも右供述を一部裏付ける記載があるが、此のことは被告の身柄及び所持品に対する監護措置として為されたものと認められ、又、原告がカナダへ向け出発するに際し荷物を纒めて訴外グレゴリに託した事実ありとするも、被告は精神病院に入つて居り家は留守になる当時の状況として強ち不当な措置とはいえないであろう。

原告が余りに神経過敏であつたという被告の主張に付ては其の証拠として証人小林清九郎の「自分は昭和二十七年一月と六月、二回原告を診察した。最初は被告がロンドンへ行つている留守宅に往診したので、その時原告は所謂ヒステリー的発作を起してベツドの上でぶるぶる震えていた。原告は其の頃、被告がロンドンから近く帰るという報せで非常に悩んでいたものと思う。(此の点に付ては前掲甲第二十一号証の二十九及び同号証の三十で明らかな如くロンドンの精神科医が被告の帰日は同人の健康上好ましくないという忠告をして来たことに注意を要する。)二回目は病院で診察したが、その時は風邪で大したことはなく、唯精神的に不安のようであつた。」という供述やこれに副う乙第三号証並に精神科医コールロスの作成した甲第二十一号証の三十六中「同年二月頃原告を数回診察したが、同人は厳しい紛糾の結果極度に緊張し興奮し悲嘆に暮れている。しかしながら彼女は正気で責任を持ち、且、自分の問題を処理し得ると認められる」旨の記載等を除いては此の点に付当裁判所の容易に信用し難い証人知念操及び被告本人の供述があるのみで、異郷にあつて夫が一時新聞記者として非常な窮境に陥つた際(此の点証人知念操の証言、被告本人の第一回供述、甲第三及び第二十六号証参照)少からぬ心労を重ね、尚、前記の如く夫の荒廃した所行やその先妻奈良岡まつ子からの脅迫に悩まされつつ苦難な生活を送つた原告が神経過敏になつたのは寧ろ無理からぬところともいえる。

要するに当裁判所に提出された総べての証拠を比較検討し、之を弁論の全趣旨に照らして考えれば、原告が被告との結婚生活に協力しなかつたり妻としての適格を欠いたとの非難が当らないことは明らかであり、カナダ行きが客観的に軽率な行動であつた点は否めないが、之を以て原告の離婚請求権を否定する根拠と為し得ないことは前述のとおりである。

更に被告は原告が軽井沢で被告と補助参加人との関係を宥恕したと主張するが、被告の、軽井沢より帰京後の行動が前叙の如くである以上右抗弁が結局理由なきに帰することは敢て説明の要がない。又、被告は原告が補助参加人と同居することさえなければ被告が同女との関係を続けても差支ない旨承諾したと主張し、其の証拠として甲第二十一号証の一記載の原告の陳述を援用するが同証の記載を右意味に理解することは困難である。

被告は更に原告は被告とその前妻訴外奈良岡まつ子との婚姻継続中に其のことを知りながら被告と同棲をしたのだから、被告と補助参加人との関係も非難する資格がないと主張するが、被告本人尋問の結果(第一回)によれば訴外奈良岡まつ子は被告の前妻で英国の国籍を取得していたものであるが、太平洋戦争が勃発して被告が英国へ送還される際「自分は日本人として生れたのだから、日本の敵である英国では住みたくない」といつて同行を拒み、戦争終了後昭和二十一年春被告に「貴方は日本に帰らぬ方がよい。日本は戦争で破壊し私自身も非常に変つたから帰つて来ても二人は決して幸福にならないだろう」という意味の手紙を送つて来た程なので原、被告双方共訴外奈良岡まつ子との関係は清算されたものと考えていたことが認められ、且、被告と同訴外人とは原、被告の結婚前正式に離婚しているのであるから、今更右過去の事実を挙げて被告の原告に対する行為を正当化することは理由のないことと謂わなければならない。

以上説明したような次第であるから、当裁判所は原告の被告に対する離婚請求は之を正当として認容すべきものとする。

よつて、原、被告等の子アーサ・エリク及びルース・セルマに対し親権を(監護権を含めて)行使する者を誰に指定すべきかの点に移る。

ルース・セルマは昭和二十六年八月生れの女児であり、出生以来引続き母たる原告の膝下で育てられているのであるから、原告を同女の親権者に指定すべきことは当然である。アーサ・エリクに付て考えるに、同人は既に数年来父と共に環境の良好な宏大な邸宅に起臥し、その深い愛情にはぐくまれて健康に生長しているのであるから、現在の境遇をそのまま維持するのが相当のようでもあるが、当面の幸福に拘らず、之に一抹の払い難い暗影を翳していることを看過出来ない。その払拭を、アーサ成長の暁、その自由意思に期待することは、本人の将来に深い禍根を貽するものである。被告の学識及び其の子に対する並々ならぬ愛情はまことに敬意に値いするものではあるが、被告が前叙のような関係にある補助参加人と同居を続け、同人に、いわばアーサの母代りをさせている以上、縦令それが被告の監督の下にあり、且、補助参加人がアーサ出生以来その哺育の任に当つて来た熟練した看護婦であるとしても、アーサの清純な幸福は容易に実現せられることがないのである。被告はアーサが同女に非常に懐いて居り、原告は之に反して幼児に対する監護能力を欠くと主張するが、幼齢の男児が平素自分の身の廻りの世話を担当している女性に馴染むのは、その女性の愛情の深浅を問わず一般に見られる現象であつて、又、当裁判所の容易に信用し難い証人知念操の証言及び被告本人の第一回供述を除いては被告が当年六才の健康なアーサに対する養育能力を欠くと認めるに足る証拠はない。現に原告本人の供述前掲甲第二十一号証の四十四乃至五十一及び弁論の全趣旨によれば原告はルース及び保姆と共に相当な一家を構え米国商会に勤務して其の人格と能力とを高く評価され堅実な生活を営んで居りルースも明るく健康に育つているのである。右ルースにとつても兄との同居は一層其の幸福を増進する所以であるし、又被告の健康が余り勝れたものと謂えず、被告本人の第二回供述及び訴訟の経過に照らし明らかな如く本件訴訟中も再度に亘り入院したような状態なのに対し真正に成立したと認められる甲第九、第三十六及第三十七号証によれば原告の健康に異状ないことも強ち軽視出来ない点であろう。被告がその掌中の玉として愛んで居るアーサを手離すことにより深い寂寥感に襲われるのであろうことは、諒察するに難くないが、本件離婚の原因が前記のような事情であること及び子の為に他の総てを犠牲にして多年非常な辛酸を嘗めて来た原告の心情もそれに劣らず顧慮しなければならない。

之を要するに被告が容易に知念との関係を清算しないことはこれ迄の経過及び当裁判所が数回試みた和諧の示唆が全然功を奏さなかつた経緯に徴しても明らかである以上アーサに対する親権者に付ても矢張り原告を指定するのが相当であると認める。従つて被告は原告に対しアーサを引渡さなければならない。

被告はアーサが右環境の変化により心神に異常な衝撃を受けることを虞れる旨主張するが、被告がアーサの幸福の為事態を真に自覚し、原告も亦アーサの引取り(此の引取りは仮に強制執行の段階に到達しても本人の年齢に鑑み、間接強制の手段によらねばならない)及び其の後の取扱に慎重を失わない限り環境の変化がアーサに与える影響の度合は之を最小限度に止め得て左程憂えるに及ばないであろう。当裁判所は此の点に付教養高い双方当事者の良識ある行動を期待するものである。現在原告が日本語を僅かしか解せず、アーサには英語が不自由であるとしても、それから生ずる障害を取除くことは左して困難なことでないと考える。(此の点に付、尚、原告本人の「自分は英会話の教授と交換に日本語を勉強している」旨の供述及び証人岩田農夫男の「アーサは幼稚園では英語ばかりで他の園児達とも英語で仲良く遊んでいる」旨の証言及び昭和二十七年八月迄原告とアーサとが同居し同年共にカナダで数カ月滞在したこともある事実参照)。

(尚、終りに一言附加すれば本件請求に関する当裁判所の判断は真正に成立したものと認められる甲第七号証及び鑑定の結果に徴するも被告の本国法たる英国法にも合致すると考える)

以上の次第であるから、当裁判所は訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤孝之)

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